勝元と宗全の対立
嘉吉の乱鎮圧に功労のあった宗全は主謀者赤松氏の再興に反対していたが長禄2年(1458年)、勝元が宗全の勢力削減を図って自分の娘婿である赤松政則を加賀国守護職に取立てたことから両者は激しく対立するようになっていた。文正の政変で協力した2人であったがそれぞれ守護大名の家督争いに深く関わっていたため、強烈に対立する2人でもあった。
寛正6年11月23日(1465年12月11日)、義政と富子との間に足利義尚(のち義煕)が誕生すると実子・義尚の将軍職擁立を切望する富子は宗全に接近し、義視の将軍職就任を阻止しようと暗躍した。義視の後見人である勝元と義尚を押す宗全の対立は激化し将軍家の家督争いは全国の守護大名を勝元派と宗全派に二分する事態となり、衝突は避け難いものになっていった。
ただし、実際には文安4年(1447年)に勝元が宗全の養女を正室として以来、細川・山名の両氏は連携関係にあった。両氏が対立関係となるのは寛正6年から両氏が和睦する文明6年(1474年)までであり、ことさらに勝元と宗全の対立を乱の要因とする理解は、『応仁記』の叙述によるものであるとの見解が提起されている。
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